1978年12月の第11期3中全会では、最終的に文革期の失脚から返り咲いた鄧小平の指導体制が確立し、それまでの革命路線から改革開放、現代化路線へと大きく転換した。1981年には文化大革命を完全に否定、毛沢東の誤りを一部認めた(「建国以来の党の若干の歴史問題についての決議」)。
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改革開放の流れの中で党の指導体制は改革派と保守派に分れ、1980年代後半からは党機構と行政機構の分離も盛んに議論されるようになったが、1989年に起きた天安門事件後は保守派が息を吹き返し、党の独裁指導体制が再び強化された。(趙紫陽がこの事件で事実上、失脚した) しかし、それによってこれまで続いてきた経済成長がスピードダウン、1992年冬に行われた南巡講話の中で鄧小平は「改革開放を加速せよ」と指示を出し、同年10月の第14回大会では社会主義市場経済が打ち出された。
鄧小平死後の1997年9月の第15回大会では、鄧小平理論を指導思想と確立し、社会主義の初級段階における党の路線が確立されると同時に、名実ともに江沢民時代に入った。
2002年11月の第16回大会では、江沢民が提唱した私営企業家の入党をも認める「3つの代表」思想が規約に明記されるとともに、江沢民から胡錦濤体制へと移行、第3世代から第4世代への世代交代が初めて平和的に実現した。2004年9月には、江沢民が最後まで残していた党中央軍事委員会主席の地位も胡錦濤に移り、少なくとも公式には胡錦濤体制への転換が完了した。
2020年までにGDPを2000年の4倍とし、「全面建設小康社会(いくらかゆとりのある社会を全面的に建設する)」という目標を打ち出しているが、今後、政治の民主化を遅らせつつ一党独裁体制を継続していけるかが注目されている。 また、私営企業家の入党許可は階級政党から国民政党への脱皮を意味しており、党のあり方そのものが問われる重大事件であった。